三田寛子・会見での「神対応」の呪縛が離婚しない理由?会見全文から考察

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歌舞伎俳優の中村芝翫さん(58歳・2024年6月17日現在)は、中村橋之助時代から女性関係でマスコミを賑わせていました。

中村芝翫さんの不倫が最初に報じられたのは2016年9月、まだ芝翫の名前を襲名する前の橋之助時代のことでした

襲名興行直前に降ってわいた「文春砲」で完全に撃沈するかと思われた中村芝翫さん(当時は橋之助)を援護射撃して救ってくれたのが、妻の三田寛子さんでした。

中村芝翫さん(当時は橋之助)の不倫報道会見の二日後、三田寛子さんのマスコミへの対応が称賛され不倫報道が鎮火していきました。

その時の三田寛子さんが雨の中の会見はまさに「神対応」だったと、今でも伝説になっています。

しかし、その神対応会見が絶賛されたことが今では三田寛子さんにとって呪縛となっていて、それが離婚しない(できない)理由なのではないかと囁かれています。

あらためて三田寛子さんの「伝説の会見・神対応」とはいったいどんなものだったのか、全文を見てみたいと思います。

目次

【三田寛子の夫】中村芝翫・襲名直前の不倫報道&記者会見

中村芝翫と京都の芸妓の不倫がスクープされた

中村橋之助時代の芝翫さん&不倫報道のお相手・市さよさん

不倫報道年月日2016年9月15日
スクープした媒体週刊文春
中村芝翫(当時は橋之助)の年齢51歳
不倫相手の年齢30代
不倫相手の名前&職業京都の人気芸妓・市さよさん(京都の小川珈琲のCMに出演していたこともある)

中村芝翫さんは1回目の不倫報道当時(2016年)は、中村橋之助さんでした。

中村芝翫という大名跡を襲名することが決まっており、襲名に向けて一番大事な時期にこのような不倫問題が報道されたのです。

この京都の芸妓さん(市さよさん)が、8月下旬、1週間の間に数回上京し、その間に3度、中村芝翫さん(当時は橋之助)とホテルで会ったという内容の記事でした。

中村芝翫は週刊誌発売の前日に記者会見を行った

2016年の不倫報道時の記者会見・橋之助時代の中村芝翫

中村芝翫さん(当時は橋之助・51歳だった)さんの不倫問題が掲載された週刊文春が発売される前日(2016年月14日)に、中村芝翫さんは記者会見を行いました。

集まった報道陣はテレビカメラ16台、スチールカメラマン20人以上、芸能リポーター、新聞記者などおよそ100人だったといいます。

中村芝翫さんは

私の不徳の致すところ

これを8回繰り返しました。

キツく、キツく、叱られました。
時間も忘れるくらい…

この会見に対してネットでは・・・

「不徳の致すところ」って微妙に明言しないところがなさけない
会見するんだったらもっと男気見せろよ

キレイな奥さんがいるのになんで浮気するのか不思議

不徳の致すところで押し通す予定(笑)

会見時のしどろもどろな様子と、明言を避けて「不徳の致すところ」を連発した中村芝翫さん(当時は橋之助)に対して厳しい声があがっていました。

また、密会現場のホテルが三田寛子さんとの披露宴を行った思い出の場所であったことから

奥さんと披露宴やったホテルで不倫しちゃダメでしょ!
後ろめたさとかないのか!?

・・・と、中村芝翫さん(当時は橋之助)のゲスっぷりを揶揄する声も上がっていました。

中村芝翫の不倫報道に対する三田寛子の会見「神対応」が話題に

yahooニュースより

中村芝翫さん(当時は橋之助)の記者会見から二日後。

降りしきる雨の中、集まった報道陣を気遣う様子を見せながら、何度も頭を下げながら笑顔で会見された三田寛子さん。

「襲名前の時期に、今一度夫婦で立ち返ってよく考える時間を神様に与えていただきました」
「これからが、彼の男として、人としての見せどころとなっていきます」
「家族みんなで力を合わせて、この襲名に臨んでいきたいと思います」

「雨降って地固まると皆さんに言ってもらえるように精進したい」

大挙して押し寄せたマスコミに対応したこの会見で、三田寛子さんに対する世間の評価は「爆上がり」しました。

二日前に行われた「中村芝翫(当時は橋之助)のゲス不倫会見」とは真逆で、絶賛の嵐でした。

「おっとり型ドジっ子アイドル」枠だった三田寛子さんが、実はこんなに芯が強いしっかりした女性だったのかと称賛の声があがりました。

この三田寛子の雨の中の会見「神対応」により、大事な襲名前のスキャンダルの影響を最小限に食い止めることができた上に、成駒屋の襲名興行は大成功に終わったと言います。

しかもこの時の「神対応」効果で、三田寛子さんにワイドショーのコメンテーターなどの仕事のオファーが殺到したそうです。

この伝説の会見「三田寛子の神対応」リアルタイムで見てた
「橋之助さん、一生奥さんに頭上がらないわ・・・」と思ったんだよね

改めて、この三田寛子さんの傘さし会見の「神対応コメント」全文を見直してみたいと思います。

三田寛子の会見「神対応」コメント全文

三田寛子の会見は降りしきる雨の中だった

日刊スポーツより

三田寛子さんの傘さし会見「神対応」は謝罪の言葉から始まりました。

この度は多大なるご迷惑をおかけしまして、お騒がせしまして、大変申し訳ございませんでした

三田寛子さんは会見の冒頭、そう述べると深々と頭を下げられました。

三田さんの体調は?

 (報道陣へ)雨に濡れて大丈夫ですか?もうごめんなさい

雨の中集まった報道陣に対しての気遣いを見せる三田寛子さん。

取材していた報道陣も「三田さん、優しいな」と、しょっぱなから思ったはずです。

私は相変わらずいつもと変わらず元気で。 
この度は本当にですね、夫婦で今まで至らない点を支え合って助け合って頑張って参りましたけど、まだまだ主人も私も至らない点がありまして。
このようなことで、芸以外のことでお騒がせすることとなりまして、深く深く夫婦で、私も至らない点がありましたので反省していますし。
今一度、夫婦で立ち返って、よく考える時間というものを神様に与えて頂いた。
襲名の前のこの時期かと真摯に受け止めて、きちんとこれから地に足を付けて頑張って進んで参りたいと思います。

「私も至らない点がありまして」と自分にも反省する点があると一歩引くことで、芝翫さん(当時は橋之助さん)だけが悪いわけではないと援護射撃しました。

三田寛子の会見コメント・「子供たちも頑張っている」ことを強調

スポニチより

とにかく子供たちもまだこれから来月の襲名を控え、主人はもとより、四代目中村橋之助、三代目中村福之助、四代目中村歌之助を襲名いたします。
子供たちにおきましては本当に新人でございます。
この襲名を機にスタート地点に立って一生懸命皆様に育てて頂きながら、頑張らなくてはいけません。

成駒屋4人同時襲名という大事業を成功させねば、子供達の晴れの門出をなんとか無事に乗り切らねば、という三田寛子さんの想いが伝わってきます。

今は子供3人も、とにかく稽古に打ち込んで襲名公演で皆様に温かい拍手を頂戴頂けますよう、学業と稽古に取り込んでいる真っ最中でございます。
本当に皆様方にも大変ご心配、ご迷惑をおかけしましたので、みんなで家族力を合わせて襲名にきちっとお稽古して臨んで頑張っていきたいと思います。

この中村芝翫さん(当時は橋之助さん)の不倫問題が勃発したときの3人の息子たちの年齢は・・・

長男:中村国生(なかむらくにお・現在は中村橋之助)当時20歳

次男:中村宗生(なかむらむねお・現在は中村福之助)当時18歳

三男:中村宜生(なかむらよしお・現在は中村歌之助)当時15歳

みんなまだ学生だと強調し、「多感な時期の子供がいますのでこれ以上は勘弁してください」と婉曲的に訴える秀逸なコメントです。

三田寛子の会見・ふんわりドジっ子キャラで嫌な質問を回避

サンスポより

二日前(2016年6月14日)の会見での中村芝翫さん(当時は橋之助さん)の「キツく、キツく、叱られました。
時間も忘れるくらい…」という発言を受けて、このような質問が飛び出しました。

きつくきつく、どのようなおしかりを?

本当に恥ずかしい限りでございます。
私も声がうわずって緊張しておりますが、主人もこのような会見は初めてでございまして・・・
お話も十分な形でお話しできていなかったと反省しておりますし、私も落ち着いてはいるものの、初めてで「てにをは」を含めてきちっとお話ができていないと反省しながら喋っております

質問の意図とはまるっきりかけ離れた、とんちんかんな答えを返す三田寛子さん。

「こんな会見初めてで、緊張して何をしゃべってるんだか私もわかっていないのよね」とドジっ子キャラを挟み込みます。

「今もちゃんと喋れてないことを心苦しく思っている」とすることで、旦那をグーの音も出ないほど叱り上げたという「鬼嫁レッテル」を貼られるのを見事に回避。

今、改めて見てみるとかなりの上級テクです・・・

三田寛子の会見「神対応」コメント・義父を持ち出し釘を刺す

三田寛子は会見で「義父を登場」させた

歌舞伎美人より

とにかく、お練りの台風で、すごい雨が突然降り出したのは、この家を、成駒屋をずっと守ってきて私たちを育ててくださいました七代目中村芝翫である父、この父がいつもなにかと雨が降る“雨男”として有名でございまして、今日も急に、ここに向かう最中に大雨が降り出しました。

「めっちゃ唐突に」会見時の雨にかこつけて亡くなった義理の父・中村芝翫さんを持ち出した三田寛子さん。

父がもっと気を引き締めて頑張らねばいかんぞということと、敦子(あつこ・三田寛子さんの本名)を守ってあげなきゃ女の子だからかわいそうに、ドキドキしながら会見を受けるだろうという思いで、父がきっと私を守ってくださる雨だと思います。

義理の父を話題にすることで、三田寛子さんが言いたいことはこの2点何だろうなと思いました。

・私は義理の娘なのに本当の娘以上に可愛がってもらっていた

・天国の義理の父(七代目中村芝翫)が実の息子(今の中村芝翫・当時の橋之助)よりも私のことを心配してくれている

中村芝翫は「お父さんっ子」だった

三田寛子さんの夫・中村芝翫さんは4人兄弟の末っ子です。

長女の光江さん(=中村 梅彌・中村芝翫さん亡きあと日本舞踊中村流の家元になった)とは8歳年齢が離れており、すぐ上の兄・中村福助さんとも5歳の年齢差。

末っ子としてめちゃくちゃ可愛がられたといいます。

また、芝翫さんは「大のパパっ子」だったそうでです。

三田寛子さんは夫・芝翫さん(当時は橋之助)が敬愛してやまない父親(=先代の芝翫)の名前を会見で出すことで、「釘を刺す」ことにも成功。

当時の新聞記事にこのようなものを発見しました。

橋之助は2011年に亡くなった父の仮通夜で自身を「親父っ子」と語り、自分の容姿が父にそっくりなだけに「今朝、化粧をしているとき、鏡が見られなくて」と、あふれる悲しみをおさえきれなかった。

橋之助にとって、師匠であり、永遠にあこがれる存在であり、何よりその大名跡「芝翫」を継ぐだけに、父の存在はまさに弁慶の泣きどころだったのではと思った。

つまり、一番突かれて痛い夫の弱点を三田は見事に雨を引き合いに指摘し、「父が見守っている」=お父様はいいことも悪いことも全部見ていますよ、と優しい言葉の裏でしっかり夫に釘を刺したと脱帽してしまった。

しかも、世間的には天国の父に免じて自分たち夫婦を温かい目で見守ってほしい、と健気な印象を与えたので、ある意味、夫を掌握するすごみすら感じた。

女性の立場として笑顔でキツいおしおきを据えた三田をあっぱれと思うが、世の中の夫たちはあの会見に震撼したのでは…。

サンスポ

三田寛子の会見「家族」を強調&周囲への気配りも忘れない

AERAより

世間には雨降って地固まるということわざがあるように、私もそういうふうに言っていただけるように、家族5人で一生懸命頑張って
もちろん芸事にも精進し、人として親としても、とにかく明るく元気で笑顔の絶えない家庭が子供の教育で一番大事と思って頑張ってきているので、これからもそのつもりで・・・
こんな私ですがお仕事もこうやってさせていただいて、皆さんにお集まり頂いたので、一生懸命頑張りますのでどうぞどうぞ、よろしくお願いいたします
関係各位の皆様、友人、ご贔屓筋、諸先輩の皆様が、この度のことで私にご連絡くださり、励ましてくださいました。
このお言葉にきっちり応えられるように、もちろん家族5人で頑張りますのでどうぞよろしくお願い致します。

家族みんなで一致団結して頑張るという決意表明にも、関係各位の皆様、友人、ご贔屓筋、諸先輩の皆様への配慮を忘れない、気配りの行き届いた素晴らしいコメントだと思いました。

三田寛子会見「芸の肥やしはウチにはない」

三田寛子は文春の取材に対し「ウチには“芸の肥やし”とかありません」と発言

 2016年9月15日発売号の文春広告&婚約会見時の中村橋之助(現在の芝翫)&三田寛子

ご主人とは今どんな風にお話を?

もちろん言葉少なに反省している様子でございます。
きちんと記事が出る前に二人で話しました。
もう、何の言い訳もないと思います。
これからが彼の男として、人としての見せ所となっていくことを肝に銘じて、本当に皆様方のお叱り、本人の軽率な行動も含めて、これから本当にきれい事ではなく、一生懸命、中村芝翫を継ぐべき人間として頑張ると申しておりましたので・・・
どうぞみなさま、色々なことをご指導いただきまして、よろしくお願いいたします。

この会見時の三田寛子さんの願いはかなわず、4年半後(2021年1月)中村芝翫さんの2度目の不倫問題が報じられました。

中村芝翫さんの「男として、人としての見せ所」が違った方向に行ってしまったようです・・・

「芸の肥やし」という言葉は?

はい、そんなことわざもございます。
週刊文春の記者の方々にも脱線しながらいろいろなお話をさせて頂きました。
ですからあの記事に載っている私の言葉がすべてかと思います

文春に載った三田寛子さんのコメントとは・・・

ただただ淡々と叱りました。『あなた、今がどんなに大事な時期か分かりますね?』と。

主人は『分かります。申し訳ない』と平謝りでした。

ウチには“芸の肥やし”とかありませんから!

週刊文春に掲載された三田寛子のコメント

「芸の肥やしとしての色事など認めない」というのが三田寛子さんの考えのようです。

三田寛子会見・離婚は「ないで~す」

三田寛子は会見で離婚はないと断言

会見の終盤、三田寛子さんにこんな質問が・・・

離婚は?

ないで~す!

満面の笑顔とハイトーンボイスの三田寛子さん。

「離婚は?」と切り込んできたマスコミに対して三田寛子さんは「ないで~す!」とアイドル時代と変わらない笑顔でお答えになりました。

この写真を見ると、とても旦那様に浮気をされた妻の顔とは思えませんよね・・・

今となっては、この笑顔は「元アイドル・タレント三田寛子」の仮面を被って精一杯勤められたのだろうな・・・と思います。

本心ははらわた煮えくりかえりそうだったのではないかと・・・

このときの「神対応」で三田寛子さんは「許す妻」と呼ばれ、中村芝翫さんの二度目三度目の不倫報道でも離婚には至っていません。

もう、中村芝翫さんを許す必要もないと思います。

三田寛子さんが本当に幸せになれるのならばこれを機に離婚しても、誰も三田寛子さんを悪く言う人はいないと思うのですが・・・

どうでしょう・・・?

三田寛子はアイドルのような笑顔で会見を締めくくった

デイリースポーツより

今日は何か話した?

頑張って2人で朝ご飯食べてきました

(三田寛子さんの梨園の妻としての)周囲への気配りが絶賛されてますが?

とんでもない、みなさん支えて頂いて感謝しています。ありがとうございます

この会見後、「元さや」におさまり、以前のようなおしどり夫婦に戻るかと思われた三田寛子さんと中村芝翫さんでしたが、2度目、3度目、4度目の不倫報道・・・

しかも、現在は夫婦別居中で中村芝翫さんは不倫相手と同棲中です。

中村芝翫さんは「浮気」ではなく「本気」なのではないかと感じてしまうのです・・・

三田寛子はこの会見で絶賛されたことが離婚しない理由になっている?

デイリースポーツより

この会見から1か月後、このような記事がスポニチに掲載されました。

(三田寛子は)新芝翫の不倫報道での対応では世間もうならせた。

報道陣の取材要請に応じて、新芝翫の謝罪会見から2日後に行った会見では、不倫という行為についてはしっかり夫婦間で話し合ったことを明かし、最悪の結論に至ることはないことを明言。

家族にとって最も重要なことは、目前に迫っていた親子4人の襲名披露興行であり、家族5人で興行の成功に全力を注ぐ姿勢を示し、騒動の幕引きを図った

スポニチ

三田寛子さんの雨の中の会見後の世間の声は・・・

天然キャラだと思ってたのにすごい頭のいい人

今年屈指の会見!

このように三田寛子さんを絶賛するものばかりでした。

辛口で知られるワイドショーの司会やコメンテーターからも称賛の声しか聞かれませんでした。

このときの「器が大きい妻」「梨園の妻として完璧な対応」と称賛されたことがいまだに尾を引いていて、それが離婚しない(できない)理由になっているならば・・・

もしそうならば、とても不幸なことですし三田寛子さんのためにならないような気がします。

万が一、今回、中村芝翫さんが不倫相手と別れて自宅に戻ったとしても、度重なる不倫問題で三田寛子さんが芝翫さんのことを一生許せない気持ちになるのではないかと。

許せない妻と許されることがない夫が一つ屋根の下で夫婦として暮らしていても、そこに安らぎは生まれず自宅がこの世の中で一番居心地の悪い場所になってしまうと思うのです。

一度目の中村芝翫さんの不倫報道時の「笑顔の神対応会見」の呪縛から解放されて「タレント三田寛子」の仮面を脱いで、「中村敦子(三田寛子さんの本名)」が本当に幸せになれる決断をされることを願っています。

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